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甲斐バンドとの”30年戦争”その14・・・”DIRTY WORK” 


2008.11.25
Tue
17:24

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(2007/12/12)
甲斐バンド

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無事に第一志望の大学に合格、そして大学生活が始まった。
入学後、最初に買ったレコードは?
ジャニス・ジョップリンの”ジャニスの祈り”と、BBキングの”ライブ・アット・ザ・リーガル”
そして、ボブ・マーリーのライブ・・・
もはや、甲斐バンド一色ではなくなっていた。
小学校から中学校、そして高校、大学と情報量はケタ違いに増えてくる。
”クラス一番”がその世界の全てだったのが、”クラス”そのものの概念がまったく
違ってくる。

軽音楽サークルに入ったが、
甲斐バンド”好きと言えば見下げられるような雰囲気だった。
”Jポップ”なんて気の利くアホなコトバもまだなかった。
何とか、ローリング・ストーンズの話で先輩と盛り上がった。
一学年上の先輩、ヒグチさんが福岡の小倉出身ということで、
博多のライブハウス、”昭和”に行ってみたいこと、甲斐バンドが好きだったことで
話が合い、イロイロと可愛がってもらった。
大友康平ばりに歌う人だった。
中学校時代、ルースターズのベーシストと一緒に、キャロルのバンドを
やったことがあり、大江慎也とも知り合いらしい。
九州という土地柄がうらやましくもあった。

レンタル・レコードというものを知り、ストーンズのレコードを全部聴いた。
高校2年の時、ストーンズの”ラブ・ユー・ライブ”を聴いたのだが、
その時、”エルモカンボサイド”にショックを受けた。
レコードで言う C面である。言い換えれば2枚目のA面。
チャック・ベリーマディ・ウォーターズボー・ディドリーのナンバーをやっている。
ストーンズの原点である。
大学の購買部にレコードショップがあり、Pヴァインのレコードがほぼそろっていた。
本物のブルースに、マディ・ウォーターズに触れたのである。
エレキギターで、ブルースのフレーズを練習しながら、”これこそが音楽のすべて”
と思い込むようになっていった。
ブルースの匂いがするものでないと耳が受付けなくないくらいに浸りきった。

甲斐バンド吉田拓郎?、ああ昔ちょっと熱中したことがあったかな・・・”

”いいモノをつくりたい。そのために時間が必要なんだ。
 オレたちに少し時間が欲しいんだ”
この年だったか前年だったかの、その年の最後の武道館で
甲斐よしひろは、そう言ったらしい。
”破れたハートを売り物に”まで発展し、耳が肥えてしまったリスナーも
私自身がそうだったように、”氷のくちびる””ポップコーンをほおばって”
”翼あるもの”をメドレーで聴いても、感動できないところまできていた。

いつものように、授業の合間、大学の生協の購買部の
レコードショップに立ち寄って偶然見つけた。
”あっ、甲斐バンドの新譜や!そういえば毎年秋には新しいの出してたな”
ブルースやらR&B一色に染まってしまっていたその頃、
まさに”昔の習慣”的に買ってしまった。

”ええやん!ブルーレター、昔のメロウな感じで、それでいて
 お前を孕ませてしまうまで、穏やかな夏は続いた
 なんて、ブルース・スプリングスティーンのリバーみたいやん!
 やっぱり、甲斐バンドにはこの世界が一番似合うんちゃうの・・・”
しかしながら、それだけではなかった。
他の曲は・・・
甲斐バンド独特の情緒感あふれる詩情的な世界を表現しながら
硬くはじける独特のビートが全編を貫いていた。
シカゴブルースやらアトランティックのR&Bを求め始めた私は
もうついてゆけなくなっていた。


確か甲斐よしひろは、”明るくはじけるような音づくり”を追求し始めた頃だったと思う。
そのためにできあがったテープをもとに、ニューヨークの
ボブ・クリアマウンテンに会いに行ったらしい。

明るく、はじけるサウンド・・・
間違いなく時代がそうさせていたはずだ。
後になってわかったことなのだが、実は日本という国はまだまだ世界には
認められていなかった。
しかしながら、貿易黒字だけは異様にふくらみ続けていた頃らしい。
それこれも、軍備費用をほとんど使わず商売一筋に頑張れたかららしい。
1985年プラザ合意が結ばれるまでは、よく知らなかった。
”バブル”まではまだ少し時間が必要だったが、明日は昨日よりよくなるはず、
父は、”せっかく大学に入ったんやから、ちょっとでも大きい企業に入れよ!
大きい企業には、やっぱり身分の保証があるから。
公務員が一番ええんや。
3年くらいになったら考えとけよ!”
それが口癖だった。
父は、バブル真っ只中に定年退職し、年金破綻が叫ばれる前に亡くなった。
まさに、右肩あがりの日本の経済を支えてきた一人だ。


”クロス・オーバー”からフュージョンというジャンルの音楽が生まれた。
”ロックはライブこそすべて”というロックバンドの最後のジェネレーションに
当たるであろうハウンド・ドッグの大友康平は、
”レコードって、コンサートに来てもらうためのカタログみたいなもの”
と言っていたが、音楽状況も変わり始めた。
大きなコンサートのチケット代が10000円するようになった。
ツアーというアーチストの日常的な行為ではなく、”特殊なイベント”
のような料金体系になっていった。
”コンサートツアーは儲からない”・・・ビーグラムレコードの創始者
長戸氏の考えは、ごもっともかもしれない・・・


【甲斐バンド  ”ブルーレター” 】




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