甲斐バンドとの”30年戦争”その12・・・”DIRTY WORK”
2008.11.23
Sun
20:00
破れたハートを売り物に(紙ジャケット仕様) (2007/12/12) 甲斐バンド 商品詳細を見る |
高校3年生・・・
本気で受験勉強をした。
たぶん1日7時間くらい、夏休みやら休みの日は10時間以上。
タバコはやめた。
コンサートは大学に合格してから!
レコードは?
それくらいならいいだろう・・・
自分の感性が成長していくのも自覚できた。
モッズ、ロッカーズ、ARB・・・ビート系のロックンロールが自分の中で
はっきり力を持ち始めた。
1年前密かにブームを起こしていた松田優作の『探偵物語』、
BOROの新譜。
ボブ・シーガーの全米ツアーのライブがヒットチャートを上がったが
日本では今ひとつもりあがらないまま・・・
何でこの時、ブルース・スプリングスティーンは来日しなかったんだろう・・・
たんぼに囲まれた片田舎、塾やら予備校も神戸やら姫路に出なきゃ
まともなのがなかった。
だから受験勉強は、独りで計画をたててやっていた。
いまだに、予備校や塾に通うヤツの気持ちがわからない。
予備校って合格できることを全部教えてくれるのかな?
教わったこと以上にそこから自分でやるのが勉強なんじゃないの?
あの少なくない教室で、講師とやらが本気で自分のことを
面倒みてくれるなんて思えないし、教室の全員が同じ人から
同じことを教わって同じだけ勉強したって合格するとは思えない。
自分で考えなきゃ意味ないんじゃない?
本気でそう思ってるから、子供ができても塾には行かせないつもりだ。
学歴がアテにならないことは、実社会で十二分に経験できた。
だが、大学受験レベルの受験勉強を、計画的に継続的に達成できるかどうかは
人を見る上で目安になることは確かだと思う。
その時の数学の教科担任のウダ先生の言葉は
今でも私の、人生の教訓の一つになっている。
『キミら、受験で満点とろうと思てるんちゃうやろな?
大学合格のラインて、65点やで。』
今はどうなのか分からないが、関西の私学の一つの目標である
『関・関・同・立』(関西学院、関西大学、同志社大、立命館大)の
一つの目安として、合格の正解率が65%が安全圏なのだ。
62%なら落ちる。
ならば、100点満点中65点なら合格なのだ。
だから、受験科目中を70点取るための受験勉強をした。
まず夏休み中に基本の徹底見直しと、得意科目をトコトン伸ばしきること。
9月からは、”赤本”片手に志望校の過去10年間の問題チェック。
選び抜いた参考書・問題集を徹底的に理解するって本当のようだ。
”参考書コレクター”たちは次々に落ちていった。
要するに、自分の相対的な位置付けができていないのだろう。
だから、何の達成感もないまま次から次へと目移りしてしまう。
わからないことに取り組むのが勉強なのに、全部ごっちゃにしてしまう。
今から思えば、やっぱりものごとに真剣に取り組むって成長できるものだ。
それが今、なかなか生かせないでいるのも確かだが・・・
論理的に物事を構築すれば、可能性がどれくらいなのか相当に見えてくる。
自分が見えてくるものだ。
おおよそのパーセンテージまで・・・・・
『今年は、東大阪の花園ラグビー場でやるらしいで。』
『ふ~ん・・・お前行くんか?』
『いいや、帰ってこられへんしな・・・』
『もう甲斐バンドはええねん、やっぱりプロレスやで!!!』
アキラ君との甲斐バンドについて語った最後の会話のような気がする。
その後彼との交流は続いたが、甲斐バンド、イヤ音楽について彼は
一切語ることは無かったし、興味もないようだった。
子供の成長はかなり早い。
10代の思春期の少年少女の感性も敏感だ。
そして”旬”のアーチストの変化も、それに負けず劣らず早い。
その年の春、パーカッションを全面に打ち出したライブアルバムは
そうとうに”トーキング・ヘッズ”のパクリだったが、
やはり甲斐バンドの独特のオリジナリティのためか、そういう批判もなく
受け入れられ、秋のニューアルバムへと受け継がれた。
甲斐バンドは、まちがいなくビートの効いた、イカシタロックンロールバンドへと
脱皮し、一つの完成形を提示してくれた。
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