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甲斐バンドとの”30年戦争”その2・・・”DIRTY WORK” 


2008.11.11
Tue
00:46

英雄と悪漢(紙ジャケット仕様)英雄と悪漢(紙ジャケット仕様)
(2007/12/12)
甲斐バンド

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小学生の時、トランジスタラジオが欲しかった。
テレビと学校と本がすべてだったのに、やはり情報というのは恐ろしいものかも?
兄が持ってたラジオからは、知らない世界が聞こえてきた。
いつでもどこでも聞ける高性能の小型トランジスタラジオ・・・
カーペンターズが神戸でコンサートをしたらしい。
ませた小学生だったのか・・・少年ジャンプの”サーキットの狼””硬派銀次郎”
”キャプテン””プレイボール”・・・・
それが世界のすべてだった。
小学5年生の時、お年玉でレコードプレーヤーを買ったが、
最初に買ったレコードは、中条きよしの”理由(わけ)”だった。
その後、サイモン&ガーファンクル、カーペンターズ、沢田研二と続くのだが
音楽なんか好きかどうかさえも、考えたことがなかった。
中学生になると全く別世界が広がった。
どうやら”ベスト30歌謡曲”以外に、膨大な音楽の世界があるらしかった。
ビートルズ”は知っておいたほうがいいらしかったが、その時同じクラスに
ワガママなアホボンがいて、そいつの自慢話を聞くのがイヤで、避けて通った。

文化祭で、先輩が”アリス”やら”かぐや姫”やらを演奏してるのを聞き、
親戚のお兄ちゃんから、ガットギターをもらった。
最初に練習したのは、もちろん”禁じられた遊び”!!!
”音叉”の意味もわからないまま、コードを覚えようと必死で練習した。
そして、フォークギターを買ってもらい、ご多聞にもれず、
思い出せばはずかしくなるようなオリジナル曲を作り出す・・・
自分で歌ってみて恥ずかしくなかったら、たぶんそのまま突っ走っていたに違いないが
心情を自分の言葉でうまく表せる手段も技術もないまま、詩を書くそして発表するなんて
やっぱりこっぱずしくてできるもんじゃない!・・・
ましてや、カセットテープに自分の声を録音して聞いてみて平気な人間なんて
絶対にアホだと思う???
だから、今でも気軽にカラオケなんてあんまり行きたくもない。
やはり歌う時は、別の人間になる必要があるんだろうと今でも思う。

そして何となく気になるある女の子のこと・・・
小学生の時とはまったく違う感覚にとまどって悩まされた。
歌やドラマの中でしか知り得なかった、恋愛感情なるものが自分の中で生まれた時、
どう対処していいものやら、まったくわからなかったものだった。
自分の中で勝手に大きくなっていくものの、うまく表現できなかった。

どうやら、ウキウキするような楽しいもんでもないような、ツライ悲しい気持ち・・・
こんな気持ちでいるのに、もしも彼女が他の男に対して、今自分が思ってるような感情を
抱いていたらどうしようか・・・
許されれない!
それは裏切りだ!!
もうオレは生きていけない!!!!
なんて一人で悶々としてる感情を、一番的確に表現してくれたのが
甲斐バンドだったような気がする。
やはりこの時期、甲斐バンドに出会ってることが、今に大きく影響してることは間違いない。
”生きるってことは一夜限りのワンナイトショー”なんだと、まだよくわからなかったけど・・・

”キミとボクの二人のこの世界”をノーテンキに、優しい借り物言葉で
歌うニューミュージックなるものとは、明らかに何かがちがっていた。
”オレとオマエ”の吉田拓郎ともなんだか違っていた。
何だか理解できない”フブキ、フブキ、氷の世界!!!”と叫んだ井上陽水とも明らかに違った。

男と女の間はけっこうツライもので、それこそが”愛”というもので、
その苦しみを二人で受け止めてちゃんと向き合って生きていかなければならないらしい。
そして、それが受け入れられないということは、かなりツライことだけど
その後二人は、それぞれ別の世界で力強く生きていくんだ!!!

その心情風景の描写に、子供ながら共感したものだった。
おそらくその時代の、フォークソングやらニューミュージックやら、
シンガーソングライターなどと呼ばれた人たちも、まだ若くて
音楽ビジネスの厳しさも、世の移り変わりのはかなさも実感としてわからなかったんでしょう。
まだまだ、”お子様たちの音楽ごっこ”だったんだろうか?

ビートルズが解散してからまだ10年もたっていなかったし、
歌い手自身が納得いく環境で作品を発表しようとたちあげた
フォーライフレコードは、まだ”業界の反逆児たち”だった。
日常的なことを、音楽で表現すること自体が、珍しくてそれこそ”非日常”だったように思う。

自分の言葉とメロディで何かを表現しようとした人たちは、
あくまでも自分だけの個人の世界を歌おうとし、
長髪で派手な衣装でエレキギターを大音響で鳴らして
アングロサクソン系白人のマネをしようとした人たちは、
まるで日本人の何たるか、日本語の何たるかを否定しようとしてるみたいだった。

甲斐バンドのことを、クラスのロック少年は”グループサウンズみたい”と見下げ、
ニューミュージック狂は、自分たちが歌えないことから無視してたような気がする。

解散時、甲斐よしひろが、
”胸を張って言えるのは、甲斐バンドはすべてオリジナルだった”と言ったことには
十分にうなづける。
例え、”翼あるもの”の歌詞が”セイリング”の翻訳のパクリでも、”アウトロー”のイントロが
クラッシュのある曲のパクリでも、”100万ドルナイト”のアレンジが、
ブルース・スプリングスティーンの”レーシング・イン・ザ・ストリート”と同じでも、
”ヒーロー”の歌詞の世界とサックスの入れ方が、同じくブルース・スプリングスティーンの
”明日なき暴走”の焼き直しでも、”港からやってきた女”がストーンズの
”ホンキー・トンク・ウィメン”の焼き直しでも、”三つ数えろ”の歌詞の内容が、
ストーンズの”サティスファクション”の焼き直しの世界でも
やはり甲斐よしひろの歌の世界は独自の世界を表して、見せてくれた。
それじゃコレはどこからパクッたのかな???
382340.jpg
甲斐バンド  ”かりそめのスウィング” 】


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